10年間の更年期障害
まさか更年期障害で10年も悩ませられるとは❓
私が、重度の部類に入る更年期障害だと気づくのには、約1年近くかかってしまいました。
初期の頃は、体の火照りが出てきたり、血圧が少し高めになってきてはいましたが、仕事や家事には、支障が無く普通に過ごせていました。
当時、私は、仕事と家事と子育てと絵画制作とイラスト作りと、もう目まぐるしく毎日を動き回っていました。 少し欲張りすぎですが・・・・・笑
又、日々の食事作りも殆どすべて手作りで、家族のお弁当作りまでこなしていましたし、キッチンガーデンを少しずつ始めかけていました。笑
ですから、自分の体力と気力には自信がありました。笑
ある日、仕事の帰り、スーパーへ買い物に行った時の事でした。 急に、何か自分がファーっとした感じと、倒れそうな感覚に襲われ、立っていられなくなり、レジの所でしゃがみ込んでしまいました。 その後、酷い動悸がして救急車を呼んでしまいました。 しかし、病院で、検査をした結果、血圧は、かなり高かったですが、心臓も脳も他に全く異常はなかったのです。 血液検査の結果も異状なしでした。
ところが、これが更年期障害といわれるものの重度の症状の始まりであったのだ と、後になりそう思わなければならない事になってしまっていたのでした。(-_-;)
更に、 普通の人の症状よりも重い更年期の症状が出てからは、パニック障害といわれている 別の神経系の病気にまでなってしまっていたという事にも、数か月後に気づいたのでした。
そして、2度目に救急車を呼んだのは、近所のカフェで、軽い昼食を摂っていた時の事でした。 コーヒーを飲み始めてから、数分くらいして、どきとぎっとして、その後、頻脈になりました。「自分は、きっと心臓に異常があるのに違いない! 」とそう確信しました。笑
しかし、その後、専門の循環器内科で、あらゆる検査をしてもらいましたが「恐らく自律神経から来るものだから、心療内科に行ったほうがいい。」と担当医に言われる結果となってしまいました。(-_-;)
私がパニック障害❓何それ❓ふざけているの❓
ここからが、パニック障害の日々との戦いと、普通の生活のあきらめと、絶望の始まりでした。(-_-;)
心療内科に行ったほうがいいと言われながらも 当時、無知な私は 「はぁー?何言ってんの?」という様に、パニック障害とかいった病名が、胡散臭く感じられ「心療内科などに行くものか」と固く決心していました。笑
それから、後2回、救急車のお世話になりました。笑 もう救急隊員の方々とは、顔見知りになってしまったのか? これは、冗談な様で本当の事でした。笑
まず、脳外科でCTを撮ってもらい、それから循環器内科で心電図をとってもらいます。
ついでに24時間ホルダーもつけて帰り、心臓の様子を24時間で観察しました。(-_-;)
結果は、異状なしでした。(-_-;)
しかし、もうこれ以上、救急隊員の方々にご迷惑をおかけする事をしてはいけないと、流石に思ってきたのでした。(-_-;)
そして、次の発作らしきものが起きた時には、とうとう近所の心療内科に行ってしまっていました。 キョロキョロと辺りを見回して、知り合いがいないのか確認して、医院の中に入りました。笑 勿論、家族に付いて来てもらいました。(-_-;) もうこの頃には、一人で外出することすらできませんでした。(-_-;) 当然、仕事も辞めざるをえなかったです。(-_
パニック障害っていう病気との戦いの始まり!!
始めて、心療内科で診察して頂く時に、色々な方が来院されていて、お辛そうな方も何人かおられました。 その時に、「あーーぁ、私は違うんだぁー。更年期障害だから・・・・。」
と距離を自分なりに置きながら、診察を受けました。(-_-;)
他の科の診察とは違って、患者の聞き取りが多かったです。、そこでは、薬の説明などの指示を受け、1週間後に又、通院して、1週間分の聞き取りをして、薬の指示を出す。 これの繰り返しでした。、兎に角、投薬治療がほとんどでした。 投薬をキチンとすれば、約1年半で確実に治る病気との事でした。 抗不安薬と微量の抗精神薬とリーゼとかいうお守り用の頓服薬を出して頂いていました。
薬って、症状を消すだけで、根本治療になって無いじゃん!!
根本治療になってないじゃん! 程度? ならまだマシなのですが、神経薬の弊害や長期に使用していた場合の、薬害などをネットで調べていくと、恐ろしい内容がワンサカ出てくるのでした。(-_-;)
しかも、後で調べて、仰天する様な事実が分かったのですが?
私は、二人目の子を妊娠していた9か月ごろから、[少しだけ、幻聴や幻覚が聞こえかけていた。出産後、約2か月位で治まった。この時に、本の少しの間だけ精神薬のお世話になった。]
この一つの事実を心療内科の先生に、初めてお話しました。 神経や精神に関わる事で、何か過去に経験した事は無いのか? という問いに対する正直な事実をお話ししただけなのですが? 妊娠9か月の頃から、ほんの数か月間だけでしたが、不思議な世界を味わいました。笑 今となっては、バカ正直に言わなければよかったのに! と後悔しました。(-_-;)
何で勝手に副作用が半端でない、精神薬を処方されたの?
まぁ、厳密にいえば勝手にじゃあないのですが、 心療内科に初めて行き、聞き取りをされた時に、この妊娠9か月の頃のちょっとした不思議な体験? の事をお話ししました。笑 そのお蔭で、担当医から言われた事はこう言う事でした。(-_-;)
「パニック障害のお薬は鬱の薬と同じものですから、精神を少し高揚させた後で、バランスをとれる様なお薬も調合しておきました。」との事でした。
要するに、過去に統合失調症の症状が出ていたから、鬱の薬でバランスが崩れて、又、統合失調症の症状が出てきたら困るでしょ。。という意味だったのだと思います。
頂いた薬は、ピーゼットシーとかいう薬でした。 しかし、恐ろしい事に、薬の副作用で多分、亡くなられた方が出てこられたのでしょうか? (+_+) おそらく・・・・(-_-;)
この薬の副作用を調べると、「まれに突然死する場合もある。」と書いてあるのものを最近になって発見しました。(-_-;) 精神薬としては、現在は余り使用されていないキツイ薬だったのでした。
しかし、もの凄く微量に調整して行きながら飲んでいました。
2週間ほどして、本当に何ともない平常時の健康な時の感覚が戻ってきました。
それから、約1年程、微量の精神薬と神経薬を毎日飲む生活を続けていきました。結果、簡単に仕事にも家事にも元通り復帰することができる様になりました。
そして、医者の指示通りに、飲んでいた薬を減薬していける程に回復したのでした。微量に減薬していき、半年以上かけて頓服以外の薬を切り離す事に成功しました。
それから1年半は、仕事も家事も平常通りにこなせ、絵画制作もたまにはできる様にもなりました。
そして、頓服をお守り代わりに持ち歩き、ひと月1個位飲む程度にまで回復していたのでした。しかし、神経に一番打撃を与えやすい、冬から春への季節の変わり目になる木の芽時位から少しずつ、又、以前の様な不安な症状が軽く出始めていました。
運の悪いことに、その頃、大の親友が病気で他界してしまいました。
余計に神経が不安定になりました。
1年半から2年位の投薬治療で、完治するのではなかったのですか?という様に新たな疑問と不信感が、医療に対して生まれてきました。 薬を飲んでいた期間でも、神経薬と精神薬の評判が余り良くはないという事も知ってはいましたが、医者が言っていた、「1年半から2年位で大体は良くなり薬も止める事ができ、頓服薬をお守り代わりに持ちながら普通の日常生活に戻る事が可能です。」という言葉を信じて頼りにしていました。
それは、他の方法で、どうやって治せるのか? 全く見当がつかなかったからでした。
薬の副作用と酷い❓離脱症状との戦い!!
戦い!! って言うのは、まだ気力と体力があり十分に余裕のある状態である。という事がしみじみと振り返ってみてわかりました。
精神薬とパニック障害の神経薬を飲み続けていて、これは副作用だなぁーと思えたことは
私の場合はただ一つだけでした。むしろ副作用?のお陰で、更年期になり血圧が少し高めになっていたのが、逆に安定した血圧を保てることができていました。そして、体調はすこぶるよく、副作用と言われている胃腸障害や睡眠障害などは全くありませんでした。
ただ、手が酷くかゆくなり、湿疹がいっぱいでき、かゆくてかゆくて、引っ掻いているうちに、血が出たり赤く腫れたりして、就寝時に布手袋をしなければ、ヒリヒリとして、寝付けなかったです。
減薬、断薬が大成功した❓後の酷い離脱症状!!
それは、正確に言うと離脱症状というのか?何か分からない?耐え難い酷い悪夢の様な症状?でした。
ある日、家族に付き添ってもらって家からかなり遠い、スーパーに買い物に行った時の事でした。 買い物を終えて食品類を袋に詰めていた時の事でした。
いきなり、脈がドドツと3~4回ほど飛び、その間に意識がクラッと飛びました。そして、フラッとして半分倒れかけてしまいました。その時に、余りにも恐ろしくて、キャッと悲鳴をあげてしまいました。脳と心臓の病気で倒れる様な感覚でした。
この時の、耐えがたい酷い症状は、実は断薬に成功して約1年半くらい普通の日常に戻った後、又、パニック障害の発作が再発した後のでき事でした。
しかし私はもう、再発した時には、二度と医療に頼ろうとは思いませんでした。
ですから、断薬の後、離脱症状が出ているだろうとされている時期を過ぎていた頃のでき事でした。
ここで、まだ半分くらいです。後半の5年間は、これ以上に凄まじかったです。笑
今でこそ、笑って済ませられますが母や家族に大迷惑をかけて、自殺まで考える様になった症状が最低でもまる3年は続きました。この後半の5年間のでき事は、又、少しずつ記事にアップして行き、こちらにリンクさせます。