マイ絵画への苦労話
基礎から学ぶの当たり前よ!
まず、私は最初からマイ絵画を追求するために計画をたてて予定通りに動いて来たわけでもありませんでした。多分、殆どの絵を描いておられる方が、そうだとは思いますが。笑
最初はイラストを描くために美術の勉強を基礎から学んで行こうといった目的のために、就職後に、なぜか美術学科で学び直したのでした。笑 これは、何でも基礎から学ばないとダメといった、子供の頃から影響を受けていた両親の考え方から来るものでした。
まず、私は5歳の頃からピアノを習っていました。(-_-;) 別に取り立てて、私がピアノを習いたいと幼少期に私が両親にアピールした事でもありませんでした。笑
両親が、女の子だからピアノを習わせたい!ピアノをスラスラと弾ける様な娘に育て上げたいという願望からピアノをどうやら習い始めた様でした。笑
そのピアノを習っていた過程で、全く面白くも無いのだけれど。笑 指の練習のための練習曲というのが、ウンザリするほど沢山出てきました。
本当にこれを小さい体でマスターして行くのには、余程、本人がピアノを習いたくてたまらなかったか、将来ピアニストになりたいか!人前でいい恰好したい!なんて、強い欲望が無い限り、辛い辛い修行の様なものでした。笑
そこで、楽しいことが好きな私は、その練習曲やちょっとした発表会用の曲のリズムを変えて弾いてみたり、半音さげたり、あげたりして違うイメージの曲にしたりして遊んでいました。笑 キチンと完璧な指の動きとリズムとで兎に角きっちり弾きこなさないと、合格して次の曲には移る事ができませんでした。ですから、落第生でした。(-_-;)
こういう生徒はいずれ辞めていくものです。その予想通りに、私はピアノが嫌いになってしまって、両親の期待を裏切りピアノの道から脱線してしまいました。笑
この時に学んだことというのは、まるで修行僧の様に辛い辛い基礎を学習しないと技術は低レベルのままなのです?という、まるで教科書通りの正しい教えと事実でした。笑
浅知恵!やりすぎ!ブレすぎ!
とても変なタイトルですが。これは本当の事ですから。もしもタイムマシンで過去に戻れるのだったら、この時期の私に今の私が話をしに行くのにと思いました。笑
当時、建築の世界に建築の完成予想図を描く、建築パース という仕事があり、結構、絵を仕事にしたい人達の中では人気がありました。
本当にアナログ時代でしたので、イラストを描いて(建物のイラストが大半ではありますが)
大きなデザイン会社では、A1サイズかA2サイズか忘れちゃいましたが、建築の完成予想図が1枚100万円位の仕事として成立していました。それ程大きくなかったので、A2サイズだったのかもわかりませんが。
美術学科での勉強の後で、その建築パースを描く仕事をしたいがために、私は、パースの専門学校にまで行きました。そして、大手の広告代理店や建設会社などととりひきしている、かなり大きなパースを専門とするデザイン会社にアルバイトとして入れました。新聞広告の求人でしたので、かなりの倍率でした。
何よりも、イラストを描く安定した仕事であるのと、1枚の価格が他のイラストの仕事に比べて非常に高かったのが魅力でした。
ただ、世間知らずで、大バカな私は、家事と子育てとを両立させながら、残業があって当たり前の業界に足を少し踏み入れましたが、皆様の予測通りそれは不可能な事でした。笑
数か月で辞めざるをえなかったのでした。パースの専門学校の授業料を回収する事すらできませんでした。この時期のお金と時間を返して!なんてアホな事は言えたものではありませんね。笑
残念だけれど、これこそ浅知恵!やりすぎ!ブレすぎ!イラストを描きたいのだったら、素直に描きたい絵だけを描いて、大して好きでもなかった建物の絵なんかを、価格が高いからというだけの理由で選択する必要は無かったのです。(-_-;)
しかし、このパース画を描く技術により、フラットな面をガッシュやアクリルでキッチリと塗ったり、透明水彩画の様々な筆使いの練習やエアブラシやペン画などイラストレーションには必須である画材の使いこなし方が身に付いた事は特筆すべき事でした。笑
この技術は後で、日本画を描く場合の様々な筆使いにも応用できましたから。笑
タイミング悪すぎ!心が折れすぎ!何がしたいのか分からなさすぎ!
それから、作品作りをして仕事になりそうなボップ系の可愛いイラストや雑貨系のお仕事が頂けそうなイラストを意識して何点か描いて、ちょこちよこデザイン事務所に出向いて行きました。カットの漫画が上手に描けるのならば、広告の仕事など沢山のイラストの仕事に入り込みやすいとは思いました。しかし私は、漫画は得意ではありませんでした。(-_-;)
ですから、Tシャツのイラストをペン画タッチでリアルに描いたり、透明水彩を3色使って軽くタッチで描いたりする様な、どちらかというと雑貨系に近いイラストなどを引き取ってもらってはいました。
しかし、子供がまだ小さかった事と教育費を少しだけ捻出するためには、まだまだ、コンスタントに入ってはいなかったイラストの仕事以外に、テレコミュニケーターや介護などの様に、時間で区切れて、曜日も働き方も自由に決められる様な仕事に就かざるをえなくなりました。
そして、誰でも起りうる事ですが、段々と体力の無い人から順番に、こういう二足、三足のワラジを履いて仕事をして行くと、体がついて行かなくなるものです。
又、運悪く、そろそろ、デジタルにデザイン業界自体が移行していき、アナログだけでは無くて、イラストであってもデジタルの知識も必要になりつつありました。
子供の教育費のかかる時に、自らデジタルの環境を整えて(デザインワークをするための高いソフトをも購入して) 、独学しにくいデザインワークというものをすべて、もう一度、専門学校に行くか?大変難しい独学で身に付けていくか? この二つの方法しか私には残されてはいませんでした。(-_-;)
もう、自分が計画していた事や目標としている事が、全然違う方向に行こうとしていました。
デジタルの出現によって、ちょっとした軽いイラストなどの仕事量も減っていったことでしょう。コストを削減するためのデジタルなのですから。
だんだんと、自分は、何がしたいのか?曖昧になってきました。
そして、自分の本当に描きたいものは、仕事になりにくいタイプのものである事も、自分ではもう既にようく分かっていました。この時期、非常に心が折れてしまい、少々鬱気味でした。
鬱の時に見た画集で中世末期~近世の日本の美に一目惚れしてしまった!笑
絵を描いて行こうという意欲が失せてきた頃に、たまたま家に置いてあった、主に近世位までの日本の絵画の画集に目をやっていた時の事でした。私自身、元々は若い頃、特に日本の絵画に興味があったというわけでは無かったです。オドロオドロしい感じや暗い色使いが余り好きではなかった事と、若い頃は派手なギラギラした色使いがどちらかと言うとお好みでした。ですから、一部個人的には、好きな作家さんは、一人二人位はいたのですが、取り立てて大好きという様な感じではなかったです。兎に角、若い頃は、洋風で、その中でもイラストレーションなどを含めた明るい世界観好きでした。
この画集に目をやっていくと、本当に!絵を描いて行こう!と決めた時の原点と同じ様な不思議な感動やモチベーションが湧いてきました。中世末期~近世の日本絵画の美に、私は中年期以降になり一目惚れしてしまったのです!
その頃の精神がそれを要求していたのでした!
もうデジタルが出てきたりして、自分の意図する方向と違う方向へずれかけていました。デザインがやりたかったのならば、デジタルは必須条件だとは思います。しかし、私は心が折れかけていました。本当は手描きで、自分が思いっきり描きたい世界観を納得が行くまで描き切りたい!最初は洗練されていなくったって、自分の絵をマイ絵画を作っていきたい!・・・・そんな欲求が日に日に湧き上がってきたのでした。
それは、中世末期~近世までの日本の美、そしてもう一つ付け加えるのならば、トルコ辺りからシルクロードを通って日本まで到達した過程や精神性。。そういう漠然とした広範囲にわたる感覚でした。
その中で、やはり日本画の画材やジャパネスクカラーや金箔、銀箔、金泥、銀泥などに
画材として、とても興味が出てきたのでした。そして、私の育ってきた土壌である、
神道の教えやスピリチュアルな考え方やその精神性などとも、パズルがピースにぴったりと当てはまる様にシックリ来ました。私は、現代に生きてはいますが、どちらかというと、あちらの世界観にも興味があります。それらが、沸々と私の中から、もう他に合わせることは嫌だ!と言わんばかりに、溢れ出てきました。