マイ絵画の追求と制作
マイ絵画の追求のために!
絵を描いていると、自分らしい独創的な絵作りについて考えざるを得ない事に突き当たります。それは、個性的な絵という様な簡単な意味では無くて、長い歴史の中で展開してきた
文化の継承=ここでは絵画についてですが。
過去の作品の継承の上に新しいものを常に生み出し、展開していき、あるいはそうして行かなければならないという世界が常にあるからです。
例えば、日本画の路線を走っていた人で日本画の線を重視してフラットな色面を塗るという、日本画らしい手法をとっていた人がいるとしましたら、
次に彼は、線を重視して描く大半の日本画らしい描き方と、現代の漫画やイラストを合体させて、エンターテイメントを追求していくような世界観を作り出した。
この世界は、今まで誰もが描いてきた世界ではありません。日本画という伝統の上にサブカルチャーとされていた漫画やイラストを合体させたのです。
この今までの日本画なら日本画の伝統を継承しつつ新たな何かを加える事が、自分らしい絵画づくりの本当の意味になります。
まぁ、誰でも何かを過去に見ていますから、何処かで何かの路線上にありながら、意識せずとも何かの影響を大なり小なり受けています。そして、自分らしい絵を描いて行こうとする欲求は常にあります。
絵のスタイルや方向性はどうやって生み出されるの❓
今まで描いてきた絵の傾向から、全く違った絵が突拍子もなく生み出される?って事も
あるにはあるとは思いますが、それもやはり自分が描いてきた絵から反発するという方向
例えば、細かく細かく細部にわたり神経を使う様な描き方をしていた人がいたとしたら、その方が全く過去の作品群から決別しょうとすれば、やはり次の作品は、とてもシンプルで色数も少ない省略した様な、場合によれば抽象化した様な作品を作り出すかもしれません。
しかし、それとて過去の自分の作品群からの影響で、その反発として生まれ出たものであると思います。
しかし、自分の中で新しいマイ絵画を作ったり、発展させたりする行為は、やはり過去にこだわった描き方や、長い間、習ってきた描き方、又は、どこかで影響を受けた描き方や文化から生まれ出て来るものが大半だと思います。
そして更に、過去に描いてきた描き方がもう心の中では飽和状態になり、卒業してしまったから次に発展させていく方もいるでしょうし。ただ単に、もう飽きてきてしまったからという方も居られるでしょう。
じゃあ私はどうだったのよ!
私の場合は、まずイラストレーションという分野に興味がありました。今の漫画を主流とするイラストやキャラデザインの様なイラストでも無くて、私が若い頃に活躍されておられた空山 基さんやペーター佐藤さんやヒロ・ヤマガタさんなどの様などこかダイナミックに描き込んだ世界に魅かれていました。
ファインアートでも無いのだけれど、かなり描き込んでいるイラストの世界の虜になっていました。
ですから、建物の絵は余り好きではなかったとはいいながら、パース・デザインの世界でも
デザイン事務所で描くイラストは、どちらかというとこういう世界にかなり近いものはありましたから、やはり1枚のイラスト料金が高いからという理由だけではなく、
建築パース業界に最初に進もうと思ったキッカケも、この最初に魅かれた世界に近かったからだとも思えます。
その後、影響を受けたものは❓
その後は、簡単でリアルなイラストをペンで描いたり、水彩やインクやマーカーで軽い
明るいイラストばかりを仕事のためか仕事を意識して描いて行きました。
そして、デジタルに気持ちよく移行できなくて挫折しました。
次は、全く真逆で別世界の日本画や日本~シルクロード辺りの文化に影響を受け始めました。今まで関わってきた絵に対する反動みたいなものだったのかもしれません。
更年期障害で、ますます内なる世界を見つめざるをえなかった私!
本当に、更年期障害に10年間悩まされ続け、余り外出もできなくなりました。
体調もいつも悪く、死にたい!とまで考える様になりました。
後半の約5年間位は、仕事どころか、日常生活も家事もできなくなりました。勿論、絵を描くなんて、夢の又夢でした。更年期障害になられる方の中では約3パーセント位しかおられないという重度の症状が出てきてしまったのでした。
その中で約3年間が一番キツイ時期でした。約9か月間は、殆ど寝たきりでした。いつも体に重い漬物石が載っかっている様で、頭には鉄兜を被っている様でした。
食事をしても食後に酷い動悸がしたり、頭がクラッとして一瞬、意識が無くなりかけたり、過呼吸になったり、息苦しくなったり、不整脈がおこったり、朝目が覚めると酷い頻脈になり、救急車を呼んだりしました。
しかし、かなりの精密検査を何度繰り返しても、どこにも異常は認められませんでした。重度の更年期障害で重度の自律神経失調症でパニック障害になってしまっていたのでした。
この寝たきりで、殆ど布団の中で過ごさなければならなかった9か月の間に、唯一心を落ち着かせることができた方法とは、布団の中でスマホをいじる事でした。私は、その時に色々と治すための方法を検索してみたりしてしました。
又、無理のない様に、予約していたテレビを15分見ては、1時間位休み、又、15分見たりして、不安な日々を忘れていくために気晴らしをして、何とか努力して過ごしていきました。
その時に、心の持ち方や食生活や考え方、場合によるとスピリチュアルな世界に及ぶまで、治すための、あらゆる勉強をしていきました。
自分の内面を掘り下げていき、内観していく作業を繰り返しました。何で、こんな酷い症状が出てきてしまったのか? もう治らないのか? 不安ではありましたが、何度も何度も自問自答を繰り返しました。
自分は自分でしかない、他の誰でもない自分であり霊的な存在だ!
当たり前の事ですが、。。。生きていくためには様々な他の人の考え方や世間の常識とする範囲の世界をとり入れたり、意識したりして生きてきました。絵画ならば基礎の基礎課程以外に、誰かが歩んできた道や方法を無理に取り入れる事もありました。合わないなぁ!自分にはシックリ来ないなぁ!と思いつつも、これは色々な描き方を体験する事によって
基礎となるだろう道を歩むためだから!。。。といつもそう言いきかせていました。。。
自分にシックリ来ないのに!
病気をしても、これが当てはまりました。誰かが漢方かいい!と言えば漢方に! この人の考え方で私は病気が治りましたよ!と言われれば、その方の貴重な動画を見て勉強をしたり。。。
このカウンセリングの先生はいい方よ!、この方とのカウンセリングのやり取りで私は回復したわ!と聞けば、その方とお会いしてカウンセリングをして頂いたりしました。
けれども、いつも私にはシックリ来ませんでした。何の糸口も見つからずストンと腑に落ちませんでした。我が強いと言えばそうかもしれませんが。。。いゃあ、そんな事はありません。相手の方に合わせて調和を心がけて生きてきましたから。。
病気を治したい!早く起き上がって普通の生活がしたい!。。。心からの願いでした。
私は、子供の頃からスピリチュアルな癒しである、ご浄霊を頂いていました。ずっと昔から。。。。
薬は一時的には効果があるけれど、後で効きが鈍ったり、副作用に悩まされたり、場合によると薬害で他の病気症状が出て来るものだ!。。。。これは昔から知っていた事でした。
理屈だけは。。。。。。
でも実際自分が長期間に渡る病気をして、乗り切った強烈なマイ体験をもっていませんでした。ただ、二人目の子のお産の時、一時的に、幻聴と幻覚の症状が出てきた事がありました。
その時に数か月で、このご浄霊を先生から頂くだけで、簡単に完治したという経験がありました。その際に、西洋医学の薬は飲みましたが、たった数か月間飲んだだけでした。他にも、ご浄霊で便秘の方の便通を良くしてあげたり、高熱を一晩じゅうのご浄霊で平熱に下げることの体験をした事はありましたが。。。
今回の様に、自分にかなりキツイ病気症状が出て、日常生活さえも送れなくなり、しかも長年月に渡り苦しみ、長引いた闘病生活で、病気症状により生活の質が著しく下がり、時間をかけて治していかなければならない様な体験は初めてでした。
キツイ症状が出ていたので、生活の質を上げるために酷い副作用や薬害の出る西洋医学や漢方を、いやいやながら試さなければならなくなりました。副作用や離脱症状に悩まされながらも、完全にそれらでは治せない病に罹ってしまいました。
人の通って来られた道。。。完治させるまでの一般的な道。。。常識的な方法。。。これが、私には、シックリ来ないというよりも、もう全く通用しませんでした。同じ病気でも、皆、症状に差があり、クセがあり、誰に訴えても治して頂けないし理解して頂けませんでした。
自分は、自分でしかない、他の誰でもない!私は紛れもなく、心を伴った霊的な存在である!
物体だけではない!物として扱っていては、きっと治せない!薬害で二次的な病気になる! そう直観が働きました。
それならば、自分を大切にして、自分の生きてきた道、自分の心の故郷、自分の魂の望む事に専念しょう!人から何と言われようと!もう誰も頼れないし!誰の意見もシックリ来ないから!
自分のシックリ来る方法を生み出そう!自分で治せる道を歩こう!自分の事をよく分かっているのは自分一人しかいないし!愛おしい霊的な存在なんだから!
マイ絵画だって、唯一、霊的な存在の自分だけから生まれ出て来るものでしょ❓
霊的な存在?って少し大げさで分かりにくいですか?目に見えない世界、それは空気のある空間の事だけでは無くて、もっと根源のつまり霊界などと言われている魂の世界の話なりますが。。
絶対にこういう事は信じない、物質や唯物観だけがすべてだと思っておられる方は、ここから先は読まないで下さいね!あなたとは、平行線をたどっちゃいますからね。笑
あなたの考え方もありですから。。どちらも否定はしたくないです。。笑
ではここから下は、霊界などの唯心世界も信じる、いゃあ存在していると考えておられる方だけにお話を進めていきますね。笑
芸術・アート?ほど、この霊界などと言われている魂の世界や目に見えない世界に近づいている、或いは影響を受けている世界は他に無いと思います。
その作家の生み出した時の心や魂から沸き上がる目に見えないエネルギーみたいなものが、その作家の肉体を通して、作品として物体や色や音や光線や映像や・・・・etc・・・に変換していく。
その変換されたものが、魂を持つ他の人達の心に伝達されていき、その魂と作家の魂との交流が見事に成功して行きます。場合によると、その交流により、受け取った人達の間では、奇跡的に至福感やカタルシスにまで及ぶ魂の高揚感が味わえる事さえあるのです。
この高揚感?は形として認識できますか?色がありますか?音や光や映像として認識できますか?
なるほど、カタルシスを味わっている観客や受け取り手の中には、その人物の高揚感を映像として捉えることはできるかもしれません。
しかし、そのカタルシスなどの高揚感を味わった、その中身は映像として捉える事ができるでしょうか?
その受け取り手や観客が受け取った、高揚感やカタルシスに至るまでの精神は、心の中で生まれてくるものです。作品という物体、或いは、色や音や光や映像などという具体的なものから
観客や受取り手の精神の世界、心の世界、魂の世界に高揚感やカタルシスなどというエネルギーが生まれたのです。
ですから、芸術・アートは唯一、物体である人間の精神・心・魂・霊界に働きかける事ができる伝達方法なのです。
具体的な制作の方法は、じゃあどうするの❓
霊的な存在の自分だけから生まれ出て来る?って簡単に言っても、そもそも美術教育に関して言えば、日本の場合は特に、その専門化した教育の段階で、自分の内から出て来る個性を一度平たんに均していく方法から始めるでしょ?それも長い長い間、人によると何年も何年も基礎の修行から始めないと絶対にダメ!なんて植えつけられることからはじまりますよね。笑
私も実際にそうでした。私の場合は、長い長い修行ではありませんでしたか。笑
確かに形を正確に把握する力、遠近感の把握とその表現の仕方、3次元を2次元で表現する方法、キチンと塗る技術etc......これらは、美しくバランスを持った絵に仕上げるためには、必須の技術だと思います。しかし、これを完璧にこなしていくためには、
修行どころか、実際は一生涯もかけてもいい位、内容の濃いお話になると私は思います。笑
デッサン一つとっても、追求して行けば、一生涯かけて追及していける様な題材になるでしょう。
それを、ササっと手っ取り早く身に付け、画材の使いこなし方に至るまで、あらゆる技法を魔法の様に!・・・・?身に付けなければいけない。それが、若い頃の修行というものである。笑
と、つい最近まで私は、ずーーーっと思い込んでいました。
そして、何か新しい表現を試みるときには、子供の頃ほど、思い切った大胆な描写ができなくなったというよりも、こういうのはダメで、こういうのが〇などという様に、型にはまる様な、型にはめられる様な、又は、はめなければならない様な妙な脅迫的な感覚が、気づかない内に身についていました。笑
勿論、前述の方法は、技術的な向上に繋げるための一過程として、きっと正しい修行になると私も確信します。
そして、偶然にも、ご自分のマイ絵画というものが、そのアカデミックな技術が習得された先に、更に新しい何かを加えることによって、磨きをかけられる様に完成するのものであるのならば、本当にその方はラッキーな方と言えると思います。
貴重な長い長い時間を修行僧の様に、努力して磨き上げた甲斐があったとも言えるでしょう。
しかし、仮に、自分から出て来るものが、アカデミックな過程を長い長い時間をかけて習得されたものとは、相反するものであると思ったり、苦痛になったりするくらい、何かがシックリ来ないと感じられた方がおられたのならば、一度、その修行を短時間ですませておいて、自分の描きたい方法で描いてみた方がいいと私は思います。
自分が描きたい自由な方法で描いてみてくださいね。最初は洗練されなくてもいいですから、何とかして自分の絵を作り上げて、自分の中で洗練していく努力をしてみて下さい。
洗練は、努力の後で必ずついてくると思います。
その後で、もう少し形をしっかりとれる様になるべきだ!とか、こういう勉強の方法が上達の近道かもしれない!など後で何か? 思いあたる事が出てきたときに、再度、アカデミックな修行にもう一度トライしてみて下さい。その時は、アカデミックな修行でレベルアップできるかもしれない!とポシティブに捉えられ、マイ絵画制作のための意欲が失われない程度に、基礎的な技術も身につけていけると私は思います。
しかし、大前提として、自分の魂から湧き上がってくるオリジナルなマイ絵画を制作するためのブラッシュアップをしているんだ!と思いましょう。
そして、マイ絵画制作の道で、作品の良し悪しの判断基準は、アカデミックで決められた基準から外れていても一向に構わないと思います。
自分の心の中で、自分にシックリ来る良し悪しで判断すべきだと思います。
そのためには、他の人達の作品のいい所が理解出来る様に目を肥えさせましょう!
この意見には、何か? 皆様の中では、 疑問を感じられる方が居られると思います。笑
自分の魂から湧き上がって来る様な、マイ絵画と言うものを制作する手段としては、自分の内面を掘り下げていき、本当に描きたいもの、自分が欲する大好きな絵を、自分がシックリと来る良し悪しを基準に制作していく筈だったのではないですか? きっと、こう言う答えが返って来る事でしょう。
では、なぜ? 美術館などで、他の現存の画家達や、或いは過去の名を残された画家達の作品群を見て、その作品から出て来るオーラの様なものを感じ取ったり、いい所を理解していったりする作業をした方がいいのかと言いますと。
第一には、自分で様々な作品の良さというものを感じ取れる視野を大きく広げるため
第二には、自分に無いもので、賞讃に値する位の表現方法を直接見て感じ取るため
第三には、自分はまだまだ未熟だと思える所を客観的に確認するため
第四には、自分だけにしかない、自分から出て来る良さを再度、確認するため
そうやって、段々とあなたは目が肥えて来ると私は思います。そうして、自分のいい所を更に伸ばしていきながら、片目でチラッと完成度やレベルが高い?とされている作品を少し意識して、自分で、これ位のレベルがベストだと思える所まで。。自分が良しとする所まで。。
自分の作品のレベルを上げていく工夫をしましょう。
目が肥えたからと言って、気に入った作家のモノマネをしても何の意味もありません。
ただし、練習にはなりますが。。。
そして、より一層、マイ絵画を愛おしく思える様に、モチベーションをあげていく工夫もしましょう。
自分が、作品作りをしょう!と心に決めた原点に心を少し戻しましょう!
どこかの誰かの作品を観て感動したからかもしれません。
雄大な大自然を見て感動したからかもしれません。
霊的な体験や霊的な夢を見続けたからかもしれません。
何か絵画以外の芸術作品に触れ、感動したからかもしれません。
大恋愛を経験したか、大失恋を経験したからかもしれません。
瞑想して見た世界を描きたいと思ったからかもしれません。
傷ついた心を癒す方法を見つけて絵を描き出したからかもしれません。
絵でしか自分を表現する方法が無いから絵で表現し続けているからかもしれません。
サブカルチャーとされているものに刺激され、絵を描くことが大好きになったのかもしれません。
皆、別個の人間なのですから、そして魂が違うのですから!
だから、同じ感覚を持つ筈がありません。
そして、同じで無い事を嘆く必要も不思議に思う必要もありません。
同じであったら可笑しいです!笑 違いが素敵なのです!
心が折れてしまうと、なかなか、描いて行く、継続して行く意欲が薄れてしまう事があるかもしれません。
自分とは、かけ離れて凄い表現ができる人を見つけ出し、自分の作品と比べてしまう事があるかもしれません。
けれども、マイ絵画を追求する道を止めないで下さい! あなたという個人は世界中に一人しかいません。
少しずつ、少しずつ、あなたの作品は、あなたと言う霊的な存在から溢れ出て来る。。
完全にオリジナルな魂の結晶となって、あなたと波長の合う方の心の救いに、きっとなるでしょう!